カウンセラー菊井ちえ子です
昨日は、所属する滋賀カウンセリング・スタイルでのミーティング。
今後のことや日々重ねているカウンセリングに関することなど打ち合わせや事例研究の時間でした。
滋賀カウンセリング・スタイルはいとうゆうじ門下生で所定の育成講座を上級コースまで終えたメンバーで構成されていますが、時間とともに目指す方向や自分のカウンセリングのあり方についても各自、悩みながら(笑)模索しながら進んでいます。
そんなミーティングをしながら、感じたこと
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悩みがあるときに大切なことは「私」がどうありたいのか、です。つい、「私は、いいんだけど」という言葉が出てしまいます。私のことは後回しでいいの、でもこの夫婦問題の解決には夫がどう思っているのかが大事なのと、つい思ってしまいます。
でも、もっともっと掘り下げていくと・・・・
どうして夫がどう思っているのかが大事だと「私」は思うのか・・
夫の思いによって、私の思いが変わってしまうのはなぜ?
夫に修復するその気がないなら、もう私はいいの・・・それはなぜ?
なぜ?なぜ?なぜ?と問いかけることは苦痛を伴います。
だって、夫に考える主導権を与えて、その結果次第で私の生き方を決める方が苦痛は少ないのです。(あくまでも選択の苦痛ということです)そして、結果自分の人生の苦しかった原因や、その後うまくいかないことが起きた時の原因を全て夫のせいにできるわけです。
あのとき、夫がこう言ったから私はこうしたの、だから今がある。この積み重ねになっていくのです。
ここで、もう一度問いかけます。
あなたは、どうして夫がどう思っているかにそんなにこだわるのか・・・
それだけ夫の考えていることが知りたいと私が思っているから、
私が思い描いている夫としてあるべき姿でいてほしいから、
そしてその夫の姿を、私が言うのじゃなく 夫の言葉で、夫の態度で示してほしいから、それだけ夫のこと愛しているのだということ。もう一面ではとても依存もしているということ。
この「私」のかくされた一面や、思いを感じて はじめて夫の思いに近づけるのです。
私は、こんなにも愛している
こんなにも必要としている
こんなにも愛されたいと思っている
また、逆に 私は思いが通じない悲しみを感じていたんだとか、もう諦めの境地にたどりついてしまっているんだという感情もあるかもしれません。
ここから、夫の思いに左右されないで「私」がどう生きて行きたいのかがはじまるのです。
やっぱり、夫と生きて行きたい、それとも私は新しい選択をしようと思います、というのもありです。どちらにしても私が「私」の人生生きていくことが最終的な幸せにつながるのだと改めて思いました。
滋賀カウンセリング・スタイルに、師匠であるいとうゆうじの記事が掲載されていたころの記事です。
男女関係は、幸せにもなるし不幸にもなるかもしれませんが、最終的に決められるのは「私」ではあるのかもしれませんね。と、こう伝えています。